2016年11月10日木曜日

知覧~若き特攻隊員の悲劇~ 中学生の本棚9(1970年)

東京裁判・靖国神社・大東亜共栄圏・GHQ・3・11空襲・ヒロシマ・ナガサキ・・・
先の大戦に関して思い浮かぶ単語。

自分が出会ってきた戦争との接点を振り返ってみると・・・

小学生はプラモデルが大好きだった。とくに田宮模型の1/700スケールの日本海軍の戦艦たち。
ウォーターラインシリーズという、海に浮かんだ喫水線から上をプラモで再現しているやつ。そんな戦艦・空母の名前を覚えるのが楽しかった時代。そして小学校3年生の時に始まった宇宙戦艦ヤマトはSF物だけれど、浮沈鑑といわれた大和の名前をよりポピュラーにしたアニメだった。
友人は戦闘機プラモを集めていたし、零戦の開発物語を学校の図書館で読んで、「堀越二郎」という名前も英雄的な名前として自分の頭には刻み込まれていた。

島根県に住んでいた母親からは原爆が落とされた日のことを聞いたことがある。
その日は南の空が夕焼けみたいにみえた、と言っていたような記憶があるのだけれど、いくら何でも島根県の海近くに住んでいた実家からは見えないだろうと思うのだが、本当のところどうだったのかはわからない。ただ、その日の印象が母親の心にも深く刻み込まれていたようだ。親戚が広島にも住んでいたことがあり、広島に行ったのは小学校6年の修学旅行の時だったけれど、平和公園を訪れたことは覚えている。

夏休みの8月6日、9日は小学生の時はなんとなく流れているテレビをみて、黙とうをしていたこともある。

そんな戦争と自分の接点。意図的に教え込まれる教育はなかったな。

「知覧」は特攻隊がそこから数多く、特に1945年の春以後の現場での実態を取材したもの、終戦後10年以上にわたって取材された遺族・当時の人々が今どのようにくらしているか、生生しい実態が描かれる。過度に感情的でないところが、何とか読み進められるが、その中に入り込んでいくことは単に戦争の残酷さを実感する、という感情以上に何か、抑え込めない矛盾の思い、歯がゆい思い、英霊に対する思い、さまざまに湧いてくる。生き残った人たちの様子、陸軍幹部たちの姿、10代の若者に国のために神となる、その犠牲精神を説き、矛盾を感じつつもどうしようもなく、あるいはそこに崇高な美を見出し出撃した魂たち。

「大本営発表~改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争」(幻冬舎新書)を読んだあとということもあるだろう。戦果があった・なかった、というよりそもそも特攻は志願により始まった、軍の正式な作戦(こんなのは作戦で取り上げられるはずもない)では無い、ということをどれだけ特攻兵たちは自覚していたか?勝利を前提にした作戦であるはずが、そこには国のために犠牲となるという価値観により勝利に向かって死にゆくという矛盾。

戦争反対、と殊更に叫ぶ方がおかしい~とかつでさだまさしがライブで云っていた言葉が今も自分の頭にこびりついて離れない。

歴史の事実・・・それは教訓として生かしていくしかない、というありふれた、しかし真実な結論にたどり着いた。

2016年10月14日金曜日

ボブ・ディラン ~ ノーベル文学賞受賞の驚き

今年のノーベル文学賞はボブ・ディラン、だそうな。
ミュージシャンが文学賞とは異例のことで、驚きをもって、しかし肯定的に受け止められているみたい。

もちろん、超有名なミュージシャンだが、自分にとってはいくつか曲も知ってはいるが「聞いたことがある」程度。関心はそれほど持ってこなかった。

「ボブ・ディラン」という名を初めて聞いたのは、ガロの「学生街の喫茶店」だ(なつかし~)。1976年のヒット曲で、この歌詞の中で出てくる名前だった。喫茶店の「片隅で聴いていたボブ・ディラン♪」というフレーズ。
そのころは小学校5年生。自分の中のボブ・ディランは、このガロの曲のフィルターでイメージづくられている。
代表的な『風に吹かれて』もよく聞いていたけど、プロテスタント・ソングだなんて初めて知ったし、吉田拓郎や矢沢永吉が影響を受けたと聞いて初めて納得する始末。

今回の受賞で、大きくマスコミにも取り上げられるし、ミュージシャンが文学賞ということでいろんな評価・評論も出てくるのだろう。自分もまた関心を持って見つめるようになると思う。

2016年10月13日木曜日

恩讐の彼方に ~ 高瀬舟・恩讐の彼方に・落城 ~ 学研・中学生の本棚8(1970年)その2

「恩讐」~恩義と、うらみ。情けと、あだ。
考えてみれば、恩讐関係とは、本来強い結びつき、恩義や情けといった関係がなくては怨みや仇に結びつかない。「関係ない」と割り切ってしまえばそれまでのことだ。

市九郎(後の了海)は主人を殺め、峠の茶屋を開き、客である旅人たちの追い剥ぎを生業とする。本来の主従関係、客と店の主という関係は恩義・情けを持って行く関係。これををことごとく怨みに変えていった前半生。良心の呵責に耐えかねて逃げ出す市九郎。駆け込んだ先の寺で仏門に入り、衆生済度のため、身命を捨てて人を救うことが自身をも救うことになる、と諭され諸国を巡る贖罪の旅に発つ。

その描写は、映画「風に立つライオン」で、主人公が戦争で兵士として参加し傷ついた子供に、「9人の命を奪ったなら、10人の命を救え!」と叫ぶ場面を思い起こす。

思うに人としての罪、「原罪」と言うものを考えるとき、「恩讐」関係にある人と人、神と人、この関係は恩讐だからこそ、その根底にあるのは「恩義」であり「情け」ではないのか。人としての根元にその情的関係がある、と思うのだ。

最後に「和解」する了海と殺めた主人の子、実之介。そこには人と人との関係が根本は「愛」であることがわかる。そのことがわかったとき感動をよび、自然と涙があふれてくる。小説読んで涙したのは何年ぶりだろう。

2016年10月9日日曜日

森鴎外 ~ 高瀬舟・恩讐の彼方に・落城 ~ 学研・中学生の本棚8(1970年)

森鴎外、というとおそらく、小学校前と小学校の低学年での遠足で二回ほど、生家を訪ねたことがある。島根県西部の山間の小さな盆地に開けた城下町、津和野の町、である。
津和野といえば、自分にはいくつかの原風景がある。
一つは小学生の時、太鼓谷稲成神社の朱の鳥居が続く坂道を(雨の中だった)みんなで降りて行った遠足の風景。(駅のホームで雨にぬれ、カッパを着ている写真が残ってたなぁ)
もう一つは、28歳の時に婚約していた妻と訪れた、明治時代初期にキリシタンが捕らわれ、殉教した乙女峠の風景だ。
それから、山陰の小京都、道端の堀の流れに鯉が泳ぐ、観光地のイメージ、風景。

森鴎外はそうした自分の故郷から出た偉人、と言うイメージがまずさきに自分にはあった。その森鴎外の作品を初めて読んだのがこの中学生の本棚だったと思う。読むきっかけは、「二十四の瞳」と同じく、NHK少年ドラマシリーズで「安寿と厨子王」(原作:山椒大夫)が放送されたのが1976年12月20日 ~12月23日の4回放送だ。~と、いうことは自分は11歳、小学校5年生。このドラマの最後の生き別れになった母親と厨子王の邂逅場面(目の見えない母親が取りを追い払いながら「安寿恋しや~」と歌う)は強く印象に残っている。
その後にこの本を手に取ったにちがいない。いつごろだろうか。中学になってからかな。

まだ三編(「恩讐の彼方に」「忠直卿行状記」「落城」)を読み残しているのだが、「山椒大夫」は古風な文体にもかかわらず上記のような経緯があって読み通していたし、「最後の一句」「高瀬舟」も読んだ記憶がある。中世の日本の時代を描きながら、人間の心の動きが生き生きと描かれていることで、入り込んで読めるのだと思う。
ただ、「阿部一族」は読んでいなかった。江戸時代初期の武家社会の主君の死に伴い、殉死していく者たちの顛末が描かれているが、中世武家社会にいきる者たちの価値観が細かく描かれていく。
ただ、「阿部一族」は歴史の史実から取材して、かなり細かく多くの登場人物を並べて書いてあるため、中学生には(大人になっても)少しとっつきにくいのではないか。また、様々な歴史や人生観を持って初めて作者の伝えたい内容、あるいは小説化されたことの価値がわかるのではなかろうか。
もちろん、文豪「森鴎外」のことを知っておくことは大切なことかもしれないし、歴史に興味を持つようになることは良いことだと思うのだが。

まあ、「舞姫」や「ヰタ・セクスアリス」が取り上げられるよりはよほど良かった、と思うけれども。(こちらは私も読んでないから、あくまで憶測ですが)

菊池寛の「恩讐の彼方に」はこれから取りかかります。これも何十年ぶりだろう。

こちらは別記事にて。

2016年10月4日火曜日

「春女苑」ショック ~ 29年目の発見

さだまさしの「春女苑」。1987年2月にシングル発表。TBSテレビドラマ「親子万才」の主題歌。地味な曲だし、主題歌になったことは知っていたがそのドラマを一度もみたことがないことで、印象が薄いのだが、「一つが二つ、二つが四つ、気づけば庭中あなた」という歌詞がなんとなく気に入っていて、時々想い出す曲だった。その翌年自分の人生が大きく転換していったこともあり、1987年~89年は大転換期。その印象ともかぶって、同じく1987年の「男は大きな河になれ」と共に自分の中では古典的な一曲だった。

そして29年たった今年、今日。初めて「春女苑」なる花を認識した自分。
きっかけは池上会館の屋上で発見した花
これである。もちろんこれは春女苑にあらず。名前をまだ調べていないのだ。
この写真を撮ったことでなんとなく「春女苑」が浮かんで来て、Web検索して初めて、春女苑なる花を認識したのでした。ヒメジョオンと良くにた花で、ヒメジョオンなら、小学校の帰り道、道端で、普通に咲いてる花だった。おそらく春女苑もその中にはあったかもしれない。
29年、歌っていながらその花のイメージがようやく今日わかった、なんて、これはこれですごいことではないかい?なんか新鮮!

人生いつまでたっても、どこにいっても、当たり前の中に発見があるもんだ。これからは具体的なイメージを持ってこの唄が歌える。世界が少し広がった、ささやかな体験。

ところで写真の花の名前は?

明日調べてみよう。

~「日々草(にちにちそう)」と判明しました。(10月5日)

追記
「春女苑」は正式には「春紫」(標準和名:ハルジオン)。「ヒメジョオン」と混同して「ハルジョオン」と呼ぶことは「間違い」なんだそうな。(10月8日)

2016年10月3日月曜日

緊急事態!~オークションは気をつけよう 「坊ちゃん ~ 中学生の本棚13(1970年)」が欠落していた件

オークションで購入した学研の「中学生の本棚」全30巻。しかも500円。
気が付いたのは購入してから1か月もたってからでした。

なんと!、13巻「坊ちゃん」の巻が欠落していたという悲劇。

オークションタイトルは「 即決 書籍◆中学生の本棚 全30巻セット◆学習研究社/昭和本 」だったのに。

商品の写真は


よくよくみると、確かに13巻がない。
また、購入直後、届いた写真がこちら



こっちも、数えてみたら29冊。
1冊欠品は、オークションの説明には何一つ説明はありませんでした。
いや、500円で買えたんだし、こちらの落ち度といえば落ち度なので、出品者を責めるつもりはさらさらありません。気が付かないこっちのドジなんだけど、こういうこともあるんだと、戒めですね。
というわけで、29冊そろいの「中学生の本棚」、坊ちゃんの巻はおそらく、「吾輩は猫である」との二本立てだったような気がするのですが、そちらは文庫本でも買いますか。

「坊ちゃん」はおそらく中学生のときには読んでおもしろかった、という記憶があり、「吾輩は猫である」は数ページ読んでたぶん、読み通していない。

そのあたりから、夏目漱石を遠ざけてしまった、自分の読書人生があったのではなかろうか。
12巻まで読み終えたら、チャレンジしてみよう。

2016年10月1日土曜日

鼻・羅生門 ~ 学研・中学生の本棚7(1970年)

中学生の本棚7巻目は、芥川龍之介短編集。
収録小説は、父/蜘蛛の糸/杜子春/魔術/鼻/羅生門/芋粥/奉教人の死/地獄変/河童/或阿呆の一生の11編。「父」から「魔術」あたりまでは中学か、高校のときに読んだ記憶がある。なので、自分の中の芥川イメージはずっとそのあたりで止まっている。特に「蜘蛛の糸」、「杜子春」は教科書にも取り上げられていたので、自分なりには読み込んでいたし、古典の説話や中国古典から取られた物語は短編ということもあり、話もすんなり心に入ってきて読みやすい。

芥川龍之介が35歳で自殺したということはこの本で知っていたのだろうか。このシリーズの巻末に載る写真は見た覚えがある。作者による河童の絵も見た記憶があり、自分の芥川龍之介のイメージはこのあたりでできあがったものだ。


「河童」、「或阿呆の一生」といった、晩年期の作品を今回読んでみてそのイメージが大きく変わった。とくに「地獄変」は、その前に取り上げられている「奉教人の死」と強いコントラストをなしていて、こういう題材、描写を追求していくことができる芥川龍之介はやはり芥川賞に名が残る作家としてふさわしい天才性があると同時に、破滅に至る狂気性もどこかに漂ってくるものを感じる。

「地獄変」は読みながら、1993年の韓国映画、「風の丘を越えて/西便制」を思い出した。まだ韓流ブームの前に作られたこの映画、娘(たしか、義理の娘だったと思う)を盲目にさせてまでパンソリの「恨」の世界を表現・追求する父親の世界は、芸術至上主義的なこの話に通じるものがある。ただ、「地獄変」は地獄絵の完成のために娘の命を犠牲にするという狂気、芸術至上主義とひとことで言うが、これは狂気としか言いようがない世界であり、そういう世界を書くという芥川の狂気性がそこにある。
杜子春で示した親子の情の世界から芸術のために娘を焼き殺すというところに変貌して行く様を一人の作家が描く、それは自殺へと自分を追い込んでいく道であるようすら感じる。


主人公が描こうとする地獄変の屏風絵。その完成のために娘を焼き殺し、描写するという地獄世界。その絵を所望したのが娘を奪っていった大殿であり、絵の完成のためにその大殿の乗る檳榔毛の車とともに娘が焼き殺される場を見てこそその絵が完成するという主人公の狂気の願い。

こういう作品を書き上げられるということ自体、芥川龍之介の狂気の始まりではなかったろうか。

前回も書いたが、「中学生の本棚」として取り上げる作品として本当いいのかなあ? 小説は小説、として客観視して読める姿勢はある程度読書経験・人生経験を積んだ後でないと、思春期に読ませるにはやっぱり考え物じゃないのかなあ、と思ってしまいます。
この本に読書感想文を載せている中学生たちには本当に脱帽します。だけど、はたして大人になっての読書人生がどうなっていったのか、ちょっと他人事ながら心配してしまうのです。


今の中学の先生たちもこうした読書指導をするのかしらん?

いつも思うけど、この年になってわかる世界があり、人生経験を積む少年・青年過程ではふさわしい読書というものがあるのではないか・・。

2016年9月20日火曜日

若きウェルテルの悩み・田園交響楽 ~ 中学生の本棚6(1970年)

「疾風怒濤」~ドイツ語の「シュトルム‐ウント‐ドラング」の訳語だ。18世紀後半の文学運動から始まり、のちのロマン主義へとつながっていく、とある。日本人がこの文学に触れたのは明治~大正時代だろうし、この訳語もその時代のものだから、100年くらいずれがあり、この訳語から受ける語感と当時のドイツの雰囲気とはかなり差があるのだろうと思う。
「疾風怒涛」といえば自分には、ベートーヴェンの第9・第4楽章の合唱歌詞であるシラーの「歓喜に寄す」が思いだされる。音楽的にはロマン主義の範疇に入り、シラーの詩も「ドイツ古典主義」に属するらしいが、第9に出会った高校時代から~「疾風怒涛」といえば~20代に至るまで、第9と強く結びついている。ベートーヴェンの生き様、「歓喜」の歌を最終楽章とした第9交響曲、「疾風怒涛」はそのイメージだった。
そのイメージで読み始めた「若きウェルテルの悩み」だったので、自分にとってはちょっと違和感を感じている。若き青年期の荒れ狂うような内面の葛藤、情感を描き出す世界には共感できるものがあるが、夫のいる女性を愛するがゆえに背徳的な主人公の葛藤~そして死を選ぶ主人公には、「歓喜に寄す」のイメージがすっかり覆ってしまうものだった。おそらく、自分が誤解していたのだろう。シラーの詩は「新古典主義」でいいのだ。「疾風怒濤」には常識や善悪を超えた世界を行き来する若き青年の激情を主題とした、秩序ある生命をも超える世界を描いたものなのだろう。それは、ときに背徳的、反権力的、破壊的なものをもたらすものになるのだ。当時、この小説を読んだ若者の間で自殺が流行したという。親ならば、「読ませたくない本」の範疇にはいるのではないか。
よみながら「え~?、中学生の本棚に、こんなのが入っててい~の?」と何度も思う自分は既におじさん、あるいは権力側? 道徳おしつけ? と云われてしまいそうだが、この小説はやはり危ういものを感じる。
文豪ゲーテ。翻訳とはいえ、ウェルテルの死に至る「愛」を描き出す文章はさすがで、運命に翻弄され、「死」に至る描写は、自分を「純愛」に生きた主人公と「勘違い」させてしまう力がある。確かに「愛」は「死」を超える力があるということは同意できる。しかし、あえて「勘違い」と言わせてもらう。これにはまると自殺する青年がいることも、わかる気がするが、決してそれはまことの「愛」ではなかろう。「愛」は「生命」を生み出すもので、「死」に直結するものではなかろう。「生命」と「死」は不可分ながらも、「死」ゆえに「生命」をどう生きるか、どよう「善く」生きるか、は人生の課題となるのだ。
ウェルテルはその「愛」を現実世界で実現できないことにより、「死」に至る。
かといって、彼が別の世界でその「愛」を全うできることはないだろう。悩みを残したまま、痛ましい魂は救われるのか。それは仏教でいう地獄・煉獄の世界ではないのか。~多くの人の愛が冷えるであろう~聖句を思い出す。
「田園交響楽」は、時代こそ違えど、テーマはやはり死に至る愛憎劇であり、随所に聖句がでてくる。というより厳格なカトリックの家庭に生まれたジイドは聖句の一節こそがテーマになってこの物語を綴る。こちらの時代は近代に入ってくるが、やはり「愛」の根源を読者に問う。 信仰が入ってくるので、さらにテーマは深くなるが、こちらについてはまた別途考えてみたい。

2016年8月31日水曜日

伊豆の踊子・雪国(花のワルツ) ~ 中学生の本棚5(1970年)

三浦友和と山口百恵、といえば自分にとっては「伊豆の踊子」(映画-1974)がすぐに出てくる。当時9歳、小学校4年生。映画を見たわけではない。兄が中学に入り、学研(ここでも学研!お世話になりました)の中一コースをとっており、その付録で映画の記事がでていたのを興味津々で読んでいたのが記憶に残っているのだ。中一コースでも話題のアイドルが映画に、ということで載せていたのだろうが、そのころの中一コースって、学習誌というより田舎の中学生にとっては情報誌みたいな扱いだったのではないだろうか。中三トリオとしてスタートしていたアイドルの中で、山口百恵はすこし大人びた印象だった。

その「伊豆の踊子」。おそらく、中学か高校になってから、このシリーズにあるのを見つけ読もうとしたが、途中で挫折して最後まで読んでない。作者の一高時代の体験をほぼそのまま綴ったものであるというこの短編は、「孤児根性」という主人公のバックグラウンドの理解あるいは共感なしには読めないと思う。相次いで肉親を亡くし、また一高の寮生活を始め、周囲との違和感を感じながら生きてきた作者の背景を理解して初めてわかるものなのだ、と思う。

高校を卒業して就職で一人、川崎(独身寮は横浜・市ヶ尾だった)に出てきた自分は、同郷の友人は周りに一人もおらず、また寮生活は二人部屋だったが、その同室の同期生とはうまが合わずにいた。
その後、職場の同僚や、仲良くなった友人はいたけれど、20歳か、21歳の春、ゴールデンウィークを利用して奈良・京都へ2泊3日(だったと思う)の一人旅をしたことがあった。それは、主人公のような、やむに已まれず飛び出した旅とは違い、さだまさしの歌の世界にあこがれて訪れた古都だったが、孤独な心を抱えての旅であったことも一面にはある。

そういった世界を通過して初めて、この「伊豆の踊子」の世界は共感できるものになっていくのではなかろうか。

それにしても7度も映画化され、さまざまな人が評論を書いている名作であり、自然描写、主人公の心の動き、踊子をはじめとした旅芸人のさまも実に繊細に描かれている、このあたりがノーベル賞受賞作家たるゆえんなのかな、と思う。

「花のワルツ」や「雪国」に至っては、その情景描写がより繊細で、芸術的なタッチで伝わってくるが、主人公とまわりの人々との人間関係の素朴さは消え、美と愛情、嫉妬など愛憎模様で描かれていくため、リアリズムとしては文学的な価値はあるかもしれないが、理解・共感するのは人によって分かれるだろう。

今、自分が旅をするとしたら、何のためにするのだろう?

旅をしたくなってきた。

2016年8月14日日曜日

二十四の瞳 あたたかい右の手/坂道 ~ 中学生の本棚4(1970年)

おそらく、「二十四の瞳」を知ったのはテレビドラマが初めて。
1974年11月11日~20日、NHKの少年テレビドラマシリーズで見た記憶ははっきりとある。
と、いうことは自分は9歳、小学校4年生だ。
その後、1976年1月に第二部が放送されており、それも見た記憶があるので、自分にとって「二十四の瞳」は、そのテレビドラマが原風景として自分の中にある。

近年、「タイムトラベラー」や、「なぞの転校生」の映像が復刻され話題になっているNHK少年テレビドラマシリーズ。自分もリアルタイムで見ていて、毎日、夕食前にテレビにかじりついて見ていた印象が残っている(自分のイチオシは「その町を消せ!」、「未来からの挑戦」、この二つが印象深い、あと二十四の瞳も二部まで見ているし、「寒い朝」や海外の輸入フィルムだろうが「アルプスの少女ハイジ」なんてのもあった)。
このドラマが、自分のSF好き(眉村卓、や後の小松左京「日本沈没」への傾倒)を育てたに違いない。

さて、この名作を「中学生の本棚」で手に取ったのは、中学生になってからなのか、もしかしたらその前にも少し読むくらいはしていたかもしれない。

映像から先に入った話なので、小説の方は最後まで読み通していたかどうかは、今回読んでみて初めてわかった。ちゃんと読んでいたのだ。読み始めは、思い出せるのは自転車で通勤する颯爽としたおんな(大石)先生と戸惑う村人たち、1学期を終えるときに怪我をしてそのまま来なくなった先生を子供たちが慕って二里離れた家まで尋ねていくというところまでしか思い出せなかった。
その後の成長した子供たちはドラマでは二部で扱っていたのかもしれない。

残念ながら、NHKテレビドラマの方はマスターテープが存在しないとのことで、もう確認するすべはない、ということか。友人が高峰秀子の映画(1954年)を見ることを勧めてくれた。最近テレビドラマでは、松下奈緒が大石先生役だが、自分のイメージとしてはやはり、NHKのドラマシリーズが原風景だ。

ドラマはともあれ、本文の話。

今回は「時代」というものを強く感じることになった。

戦前~戦後にわたって描かれる12名の生徒と大石先生の人生。どこかで(たぶん、理想の教師像かなんか教育問題を議論している文章だったと思う)、大石先生は何もできず、ただ生徒のために心配したり、泣いてあげることしかできない、そういう先生が昔はいい先生だった(つまり今はそんな先生は無能な先生である)、と書かれた対談を読んだ記憶がある。
何に書かれていたかはもう覚えていないのだが、その時はそういう見方もあるんだと思ったくらい。

確かに、この岬の分校で描かれている大石先生は単なる教師の枠をこえ、生徒の家庭・及びまわりの人々の生活に関わっていく、というより子供たちを受け止めようとするとその親・家族を受け止めざるを得ない、といった消極的なものであり、かかわらざるを得ない環境に追い込まれているようにも見える。

それは、本校で反軍国主義的思想をもつ、ということで問題になった同僚教師の姿と、生徒のためを思っての言動が「アカ」とのレッテルを貼られ、なぜ自分がそうみられるのか自覚のない大石先生の姿との対比で、よりはっきりと見えてくる。

「教師の枠」と書いたが、「枠」って一体何なのか。理想論にすぎるのは承知だが、先生と生徒の関係ってなんなのか。現代の先生と、大石先生の時代の先生と、何が違うのか。

この年になって中学生の息子のPTAとかかわることになって、先生方との交わりの時間や考える時間を通して、改めて二十四の瞳の物語を美談(決してハッピーエンドで終わっているわけではないのだが)とか、理想的だとか、小説の世界、だけで済ましてしまってはいけないと、思う。


短編の二つ~暖かい右の手/坂道~が描く世界は、生命と信仰、職業の貴賤・偏見と単純化してしまえばそういったテーマなのだと自分は捉えたが、作者はいずれも子供の目線から物事を見つめる視点を持っている。そう、「子供」とは単に年齢が幼い、経験の少ない、大人が教え導いてあげなければならないという存在ではなく、「子供」のゆえにシンプルに、素直に見つめる心をもっている存在である、ということを自分たち大人はもっと認め、受け入れ、学び取っていかなければならないのではないか。

マタイによる福音書18章1節~4節:1 そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。2 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 3 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 4 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。

聖書のこの聖句が思い出される。

2016年8月10日水曜日

武者小路実篤 ~ 友情・桃源にて/愛と死 ~ 中学生の本棚3(1970年)

おそらく、初めて読む。

中学・高校の時に何ページかはめくったかもしれないが、読み通していないのは確実。

「武者小路実篤」~名前はおそらくこの本で知った。巻末の写真の謹厳なおじさん(失礼)といった雰囲気の映像は、その時に焼きついたもの。その後、野菜を描き、揮毫の書かれた色紙を見たような気がするが、それもこの本の巻末に載せてあるものだったのかもしれない。
野菜の色紙を揮毫する文筆家、といったイメージだったが、調べてみれば理想郷を目指して戦前(大正時代)に「新しき村」を興した、とある。へぇ~、そんな一面もあったんだ、と発見。

「白樺派」を代表する作家であり、志賀直哉・柳宗悦といった芸術家との交流があることは今回、Wikipediaで始めて知った。理想主義的・空想社会主義的行動との表現が載っているが、今の自分にはそのレッテル貼りがどれだけのものかはわからない。現代にとっての作者の評価はどのようなものなのだろう?

「友情」は友人の妹に恋した主人公を、理解し応援してくれているはずの別の友人にその恋する女性を奪われてしまう話。そしてその友人の裏切りは書簡を公開する(雑誌に掲載)という形で主人公に告げられる。一見残酷なしうちだが、それは友人として、文学者としての良心であり、主人公はそこで裏切られた形の無二の友人に対し、仕事上で競い合おうと、文学の道を行くことを改めて決意する。それを「友情」、と作者は表現したかったのではなかろうか。

主人公が女性に恋していくさまや、最後は一方的な手紙を送りつけるようになり、途中のさまざまな心の揺れ動き、そして恋敵(と思い込んでしまう)に対する敵対心やうまくいかないとこには友人の理解をしきりに求めるところなど、今でいえばストーカーに近いのではないかと思ってしまうほど、主人公の心の動きがつづられていて、正直言って食傷気味。
若い感性ならばこのような恋愛感情には共感もできるところもあると思うが、今の自分はちょっと遠ざけたい感じ。こんなことを書くのも自分がすでに「おじさん」なのだろう。

「桃源にて」は戯曲として書かれていて、まだ客観的に読める気がする。

「愛と死」は二人の愛が突如、女性の死によって断ち切られてしまう悲劇。その間の手紙のやりとりは、いまどきの「ラブレター」や、メールでのやり取りとは比較にならない愛の言葉でちりばめられたもの。こちらも読んでてちょっと、という感じになるが、主人公が「21年前の話」として語っているので突き放して見れる分、すこし冷静に見ることができる。
悲劇の後の主人公が新しい恋をしたのか、結婚したのか、家族はできたのか、何にも書いていない分、21年後の「自分」がどうなっているか、そこは読む方がそれぞれの受け止め方でいいんだろうなあ。

結構挌闘して読んだ、といった読後感であった。


2016年7月18日月曜日

あしながおじさん ~ 中学生の本棚2(1970年)

「中学生の本棚」 第2巻は「あしながおじさん」。

同じ17巻にある「赤毛のアン」とともにどちらを先に読んだのかは定かではないが、どちらも中学生時代に読み始めたのではないだろうか。

第2巻を読み終えて気がついたのだが、このシリーズは、巻頭と終わりにいくつか写真ページがあり、作家の肖像や物語が描く時代や場所の映像がある。それと当時の中学生の読書感想文コンクールか何かで優秀だった感想文がいくつか載っている。また解説もついていて、理解を深めることが出来るよう、教育的配慮がされている。これはこれで、中々興味深い。

中学生当時、なんの本だったか、(おそらく、「死の艦隊」?この本の巻末読書感想文を一生懸命読んだ記憶だけが残ってる)夏休みの読書感想文のために、参考にして(決して写してはいませんよ、ええ)いたような一場面の記憶がある。

自分の中では「赤毛のアン」がよりメジャーな気がするけれど、日本では「あしなが育英会」の名前が結構浸透しているので、「あしながおじさん」もかなりメジャーな単語になっている。

原題は「Daddy-long-leggs」、足の長い蜘蛛に近いザトウムシ(座頭虫)の愛称なんだそうで、「あしながおじさん」は虫そのものよりも、文字の意味に近い意訳で、日本で広く知られる題名の訳し方だったなぁ、と思う。

「赤毛のアン」と同じ孤児となった主人公(こちらは孤児院で厳しく育てられていたところから始まる)が突如顔もしらない「あしながおじさん」からその文才を認められて、大学に進学して、その期間の「あしながおじさん」への手紙~書簡集という形をとって物語はつづられていく。
確かに主人公の手紙は楽しい。見たこともない、自分の支援者(孤児院の理事、ということになっている)に感謝の気持ちをベースにしながら、喜びもし、怒りもし、唯一の「家族」としてすべてをさらけ出す、といった手紙は読者を「あしながおじさん」の気持ちにさせてくれる。

100年前の米国での女子学生の生活がよくわかる、と言われているという。学業内容の報告もあって、当時の学生がどんな科目を勉強していたかというのも、今回読んでみて面白いところだったと思った。化学の授業や、主人公は「私は社会主義者」といってみたり、第1次大戦前後の米国はこういう雰囲気だったのかとわかるということも、とても今回は面白いと思った。

謎の「あしながおじさん」の正体が少しずつ、読みながら解き明かされていく、そして、主人公は全く気がつかずにいて、最後に正体がわかるとともにハッピーエンド、という謎解き的な構成も楽しく読める、人気がある小説だと思う。

アボットではなくても、少女たちが快活で明るく、正直に生きられる時代は、とても幸せな時代だと思う。

2016年7月6日水曜日

次郎物語 再読 ~ 中学生の本棚1(1970年)

「切ないことが あったなら 大きく叫んで 雲を呼べ」~さだまさしさんの「男は大きな河になれ」の一節である。スメタナの「モルダウ」のメロディに載せて、歌われる。

この曲は、1987年公開の映画「次郎物語」(監督:森川時久)のテーマ曲だった。暑い夏の日(公開は7月)に渋谷の駅前の映画館まで見に行った記憶がある。(このとき自分は22歳)

主題歌を歌うにあたって、さださんがどこかで、『「次郎物語」の話の大きさを思うと、自分ではメロディが浮かばず、モルダウを使うしかなかった・・』みたいな内容のコメントをしていたのを思い出す。(ライナーノートだったかなぁ)

久しぶりにその「次郎物語」を読んだ。

自宅に、おそらく兄のために、母が学研の営業マンの売り込みにのせられて購入したであろう「中学生の本棚」30巻があった。調べてみると、昭和45年に学研が「中学生への読書シリーズ」という企画が好評だったのに気をよくして、中学生を対象にした推薦図書をまとめて発刊したものであるという。おそらく兄が中学生になるころに購入したものだと思うので、昭和48・9年頃に購入したのではなかったか。

中学生向きに当時推奨されるタイトルがジャンル別にまとめられていて、今見るととても面白い。「現代SF集」には、今ではマイナーになったと思うが、ロシア(当時はソ連)の作家のSF集あり、これはこれで今では珍しく、貴重なものではないかと思うほどだ。(ちなみにAmazonではこの本だけが古本で購入可能(2016年7月現在)

そのころはまだ小学2・3年生だったので、すぐには読むことはなかったが、高学年になってぽつぽつと気になる本の拾い読みを初めていたように思う。「天国に一番近い島」や「どくとるマンボウ昆虫記」は比較的読みやすく、もしかしたら小学生のときから読み始めていたかもしれない。

その第1巻である「次郎物語」はおそらく、中学校になってから読み始めたものだ。
実はこの第1巻、とっつきにくかった記憶がある。というのもなぜか第2部が収録されているからだ。なぜ第2部なのか、最後にその趣旨が述べられているが、当時はなぜ1部からではないのか、話が途中から始まる(次郎の母親が亡くなった後から)ため、中途半端な気がしていた。
中学生になって図書室で見つけた第1部を読んでから読み始めたのだと記憶している。

Wikipediaには、長編教養小説(Bildungsroman~ビルドゥングスロマーン)として紹介されているが、「教養小説」という表現よりもドイツ語である~ビルドゥングスロマーン~自己形成小説~のほうが自分にとってはしっくりする、それがこの「次郎物語」なのである。

作者、下村湖人が教育者ということもあり、自伝的内容をベースにしながら教育的観点を盛り込みながら「次郎」を青年まで成長していく姿を見つめていく手法で書かれているので、ときには解説的内容がちょっと気になるところだが、特に一部は愛に飢えた次郎の心の動きが見て取れるし(そのなかで母の愛を獲得し、母の死という子供にはつらい別れも描かれる)、第二部で父・兄・恩師とのかかわりでさらに広がる次郎の成長が感じられるものとなっている。

中学~高校~そしておそらく20代前半は繰り返し読んだこの次郎物語。青年になって4・5部の世界がわかり始めるのはやはり、親元を離れてひとり、都会で生活をはじめた自分自身と重ね合わせて、内面は次郎のそれと同調するものがあったのだろう。

自分の古典、といっていい小説であり、おそらく死ぬまでには何度か読み返すことになるだろう。

中学生の本棚30巻、オークションで見つけた。なんと500円!
これは買わずにはいられませんでした。

というわけで、これから全30巻読破へチャレンジしていくことにした。
51年の人生をこの読書を通して振り返り、未来の自分を見つけ出したい。