森鴎外、というとおそらく、小学校前と小学校の低学年での遠足で二回ほど、生家を訪ねたことがある。島根県西部の山間の小さな盆地に開けた城下町、津和野の町、である。
津和野といえば、自分にはいくつかの原風景がある。
一つは小学生の時、太鼓谷稲成神社の朱の鳥居が続く坂道を(雨の中だった)みんなで降りて行った遠足の風景。(駅のホームで雨にぬれ、カッパを着ている写真が残ってたなぁ)
もう一つは、28歳の時に婚約していた妻と訪れた、明治時代初期にキリシタンが捕らわれ、殉教した乙女峠の風景だ。
それから、山陰の小京都、道端の堀の流れに鯉が泳ぐ、観光地のイメージ、風景。
森鴎外はそうした自分の故郷から出た偉人、と言うイメージがまずさきに自分にはあった。その森鴎外の作品を初めて読んだのがこの中学生の本棚だったと思う。読むきっかけは、「二十四の瞳」と同じく、NHK少年ドラマシリーズで「安寿と厨子王」(原作:山椒大夫)が放送されたのが1976年12月20日 ~12月23日の4回放送だ。~と、いうことは自分は11歳、小学校5年生。このドラマの最後の生き別れになった母親と厨子王の邂逅場面(目の見えない母親が取りを追い払いながら「安寿恋しや~」と歌う)は強く印象に残っている。
その後にこの本を手に取ったにちがいない。いつごろだろうか。中学になってからかな。
まだ三編(「恩讐の彼方に」「忠直卿行状記」「落城」)を読み残しているのだが、「山椒大夫」は古風な文体にもかかわらず上記のような経緯があって読み通していたし、「最後の一句」「高瀬舟」も読んだ記憶がある。中世の日本の時代を描きながら、人間の心の動きが生き生きと描かれていることで、入り込んで読めるのだと思う。
ただ、「阿部一族」は読んでいなかった。江戸時代初期の武家社会の主君の死に伴い、殉死していく者たちの顛末が描かれているが、中世武家社会にいきる者たちの価値観が細かく描かれていく。
ただ、「阿部一族」は歴史の史実から取材して、かなり細かく多くの登場人物を並べて書いてあるため、中学生には(大人になっても)少しとっつきにくいのではないか。また、様々な歴史や人生観を持って初めて作者の伝えたい内容、あるいは小説化されたことの価値がわかるのではなかろうか。
もちろん、文豪「森鴎外」のことを知っておくことは大切なことかもしれないし、歴史に興味を持つようになることは良いことだと思うのだが。
まあ、「舞姫」や「ヰタ・セクスアリス」が取り上げられるよりはよほど良かった、と思うけれども。(こちらは私も読んでないから、あくまで憶測ですが)
菊池寛の「恩讐の彼方に」はこれから取りかかります。これも何十年ぶりだろう。
こちらは別記事にて。
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