2016年7月18日月曜日

あしながおじさん ~ 中学生の本棚2(1970年)

「中学生の本棚」 第2巻は「あしながおじさん」。

同じ17巻にある「赤毛のアン」とともにどちらを先に読んだのかは定かではないが、どちらも中学生時代に読み始めたのではないだろうか。

第2巻を読み終えて気がついたのだが、このシリーズは、巻頭と終わりにいくつか写真ページがあり、作家の肖像や物語が描く時代や場所の映像がある。それと当時の中学生の読書感想文コンクールか何かで優秀だった感想文がいくつか載っている。また解説もついていて、理解を深めることが出来るよう、教育的配慮がされている。これはこれで、中々興味深い。

中学生当時、なんの本だったか、(おそらく、「死の艦隊」?この本の巻末読書感想文を一生懸命読んだ記憶だけが残ってる)夏休みの読書感想文のために、参考にして(決して写してはいませんよ、ええ)いたような一場面の記憶がある。

自分の中では「赤毛のアン」がよりメジャーな気がするけれど、日本では「あしなが育英会」の名前が結構浸透しているので、「あしながおじさん」もかなりメジャーな単語になっている。

原題は「Daddy-long-leggs」、足の長い蜘蛛に近いザトウムシ(座頭虫)の愛称なんだそうで、「あしながおじさん」は虫そのものよりも、文字の意味に近い意訳で、日本で広く知られる題名の訳し方だったなぁ、と思う。

「赤毛のアン」と同じ孤児となった主人公(こちらは孤児院で厳しく育てられていたところから始まる)が突如顔もしらない「あしながおじさん」からその文才を認められて、大学に進学して、その期間の「あしながおじさん」への手紙~書簡集という形をとって物語はつづられていく。
確かに主人公の手紙は楽しい。見たこともない、自分の支援者(孤児院の理事、ということになっている)に感謝の気持ちをベースにしながら、喜びもし、怒りもし、唯一の「家族」としてすべてをさらけ出す、といった手紙は読者を「あしながおじさん」の気持ちにさせてくれる。

100年前の米国での女子学生の生活がよくわかる、と言われているという。学業内容の報告もあって、当時の学生がどんな科目を勉強していたかというのも、今回読んでみて面白いところだったと思った。化学の授業や、主人公は「私は社会主義者」といってみたり、第1次大戦前後の米国はこういう雰囲気だったのかとわかるということも、とても今回は面白いと思った。

謎の「あしながおじさん」の正体が少しずつ、読みながら解き明かされていく、そして、主人公は全く気がつかずにいて、最後に正体がわかるとともにハッピーエンド、という謎解き的な構成も楽しく読める、人気がある小説だと思う。

アボットではなくても、少女たちが快活で明るく、正直に生きられる時代は、とても幸せな時代だと思う。

2016年7月6日水曜日

次郎物語 再読 ~ 中学生の本棚1(1970年)

「切ないことが あったなら 大きく叫んで 雲を呼べ」~さだまさしさんの「男は大きな河になれ」の一節である。スメタナの「モルダウ」のメロディに載せて、歌われる。

この曲は、1987年公開の映画「次郎物語」(監督:森川時久)のテーマ曲だった。暑い夏の日(公開は7月)に渋谷の駅前の映画館まで見に行った記憶がある。(このとき自分は22歳)

主題歌を歌うにあたって、さださんがどこかで、『「次郎物語」の話の大きさを思うと、自分ではメロディが浮かばず、モルダウを使うしかなかった・・』みたいな内容のコメントをしていたのを思い出す。(ライナーノートだったかなぁ)

久しぶりにその「次郎物語」を読んだ。

自宅に、おそらく兄のために、母が学研の営業マンの売り込みにのせられて購入したであろう「中学生の本棚」30巻があった。調べてみると、昭和45年に学研が「中学生への読書シリーズ」という企画が好評だったのに気をよくして、中学生を対象にした推薦図書をまとめて発刊したものであるという。おそらく兄が中学生になるころに購入したものだと思うので、昭和48・9年頃に購入したのではなかったか。

中学生向きに当時推奨されるタイトルがジャンル別にまとめられていて、今見るととても面白い。「現代SF集」には、今ではマイナーになったと思うが、ロシア(当時はソ連)の作家のSF集あり、これはこれで今では珍しく、貴重なものではないかと思うほどだ。(ちなみにAmazonではこの本だけが古本で購入可能(2016年7月現在)

そのころはまだ小学2・3年生だったので、すぐには読むことはなかったが、高学年になってぽつぽつと気になる本の拾い読みを初めていたように思う。「天国に一番近い島」や「どくとるマンボウ昆虫記」は比較的読みやすく、もしかしたら小学生のときから読み始めていたかもしれない。

その第1巻である「次郎物語」はおそらく、中学校になってから読み始めたものだ。
実はこの第1巻、とっつきにくかった記憶がある。というのもなぜか第2部が収録されているからだ。なぜ第2部なのか、最後にその趣旨が述べられているが、当時はなぜ1部からではないのか、話が途中から始まる(次郎の母親が亡くなった後から)ため、中途半端な気がしていた。
中学生になって図書室で見つけた第1部を読んでから読み始めたのだと記憶している。

Wikipediaには、長編教養小説(Bildungsroman~ビルドゥングスロマーン)として紹介されているが、「教養小説」という表現よりもドイツ語である~ビルドゥングスロマーン~自己形成小説~のほうが自分にとってはしっくりする、それがこの「次郎物語」なのである。

作者、下村湖人が教育者ということもあり、自伝的内容をベースにしながら教育的観点を盛り込みながら「次郎」を青年まで成長していく姿を見つめていく手法で書かれているので、ときには解説的内容がちょっと気になるところだが、特に一部は愛に飢えた次郎の心の動きが見て取れるし(そのなかで母の愛を獲得し、母の死という子供にはつらい別れも描かれる)、第二部で父・兄・恩師とのかかわりでさらに広がる次郎の成長が感じられるものとなっている。

中学~高校~そしておそらく20代前半は繰り返し読んだこの次郎物語。青年になって4・5部の世界がわかり始めるのはやはり、親元を離れてひとり、都会で生活をはじめた自分自身と重ね合わせて、内面は次郎のそれと同調するものがあったのだろう。

自分の古典、といっていい小説であり、おそらく死ぬまでには何度か読み返すことになるだろう。

中学生の本棚30巻、オークションで見つけた。なんと500円!
これは買わずにはいられませんでした。

というわけで、これから全30巻読破へチャレンジしていくことにした。
51年の人生をこの読書を通して振り返り、未来の自分を見つけ出したい。