「切ないことが あったなら 大きく叫んで 雲を呼べ」~さだまさしさんの「男は大きな河になれ」の一節である。スメタナの「モルダウ」のメロディに載せて、歌われる。
この曲は、1987年公開の映画「次郎物語」(監督:森川時久)のテーマ曲だった。暑い夏の日(公開は7月)に渋谷の駅前の映画館まで見に行った記憶がある。(このとき自分は22歳)
主題歌を歌うにあたって、さださんがどこかで、『「次郎物語」の話の大きさを思うと、自分ではメロディが浮かばず、モルダウを使うしかなかった・・』みたいな内容のコメントをしていたのを思い出す。(ライナーノートだったかなぁ)
久しぶりにその「次郎物語」を読んだ。
自宅に、おそらく兄のために、母が学研の営業マンの売り込みにのせられて購入したであろう「中学生の本棚」30巻があった。調べてみると、昭和45年に学研が「中学生への読書シリーズ」という企画が好評だったのに気をよくして、中学生を対象にした推薦図書をまとめて発刊したものであるという。おそらく兄が中学生になるころに購入したものだと思うので、昭和48・9年頃に購入したのではなかったか。
中学生向きに当時推奨されるタイトルがジャンル別にまとめられていて、今見るととても面白い。「現代SF集」には、今ではマイナーになったと思うが、ロシア(当時はソ連)の作家のSF集あり、これはこれで今では珍しく、貴重なものではないかと思うほどだ。(ちなみにAmazonではこの本だけが古本で購入可能(2016年7月現在)
そのころはまだ小学2・3年生だったので、すぐには読むことはなかったが、高学年になってぽつぽつと気になる本の拾い読みを初めていたように思う。「天国に一番近い島」や「どくとるマンボウ昆虫記」は比較的読みやすく、もしかしたら小学生のときから読み始めていたかもしれない。
その第1巻である「次郎物語」はおそらく、中学校になってから読み始めたものだ。
実はこの第1巻、とっつきにくかった記憶がある。というのもなぜか第2部が収録されているからだ。なぜ第2部なのか、最後にその趣旨が述べられているが、当時はなぜ1部からではないのか、話が途中から始まる(次郎の母親が亡くなった後から)ため、中途半端な気がしていた。
中学生になって図書室で見つけた第1部を読んでから読み始めたのだと記憶している。
Wikipediaには、長編教養小説(Bildungsroman~ビルドゥングスロマーン)として紹介されているが、「教養小説」という表現よりもドイツ語である~ビルドゥングスロマーン~自己形成小説~のほうが自分にとってはしっくりする、それがこの「次郎物語」なのである。
作者、下村湖人が教育者ということもあり、自伝的内容をベースにしながら教育的観点を盛り込みながら「次郎」を青年まで成長していく姿を見つめていく手法で書かれているので、ときには解説的内容がちょっと気になるところだが、特に一部は愛に飢えた次郎の心の動きが見て取れるし(そのなかで母の愛を獲得し、母の死という子供にはつらい別れも描かれる)、第二部で父・兄・恩師とのかかわりでさらに広がる次郎の成長が感じられるものとなっている。
中学~高校~そしておそらく20代前半は繰り返し読んだこの次郎物語。青年になって4・5部の世界がわかり始めるのはやはり、親元を離れてひとり、都会で生活をはじめた自分自身と重ね合わせて、内面は次郎のそれと同調するものがあったのだろう。
自分の古典、といっていい小説であり、おそらく死ぬまでには何度か読み返すことになるだろう。
中学生の本棚30巻、オークションで見つけた。なんと500円!
これは買わずにはいられませんでした。
というわけで、これから全30巻読破へチャレンジしていくことにした。
51年の人生をこの読書を通して振り返り、未来の自分を見つけ出したい。
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