2016年10月14日金曜日

ボブ・ディラン ~ ノーベル文学賞受賞の驚き

今年のノーベル文学賞はボブ・ディラン、だそうな。
ミュージシャンが文学賞とは異例のことで、驚きをもって、しかし肯定的に受け止められているみたい。

もちろん、超有名なミュージシャンだが、自分にとってはいくつか曲も知ってはいるが「聞いたことがある」程度。関心はそれほど持ってこなかった。

「ボブ・ディラン」という名を初めて聞いたのは、ガロの「学生街の喫茶店」だ(なつかし~)。1976年のヒット曲で、この歌詞の中で出てくる名前だった。喫茶店の「片隅で聴いていたボブ・ディラン♪」というフレーズ。
そのころは小学校5年生。自分の中のボブ・ディランは、このガロの曲のフィルターでイメージづくられている。
代表的な『風に吹かれて』もよく聞いていたけど、プロテスタント・ソングだなんて初めて知ったし、吉田拓郎や矢沢永吉が影響を受けたと聞いて初めて納得する始末。

今回の受賞で、大きくマスコミにも取り上げられるし、ミュージシャンが文学賞ということでいろんな評価・評論も出てくるのだろう。自分もまた関心を持って見つめるようになると思う。

2016年10月13日木曜日

恩讐の彼方に ~ 高瀬舟・恩讐の彼方に・落城 ~ 学研・中学生の本棚8(1970年)その2

「恩讐」~恩義と、うらみ。情けと、あだ。
考えてみれば、恩讐関係とは、本来強い結びつき、恩義や情けといった関係がなくては怨みや仇に結びつかない。「関係ない」と割り切ってしまえばそれまでのことだ。

市九郎(後の了海)は主人を殺め、峠の茶屋を開き、客である旅人たちの追い剥ぎを生業とする。本来の主従関係、客と店の主という関係は恩義・情けを持って行く関係。これををことごとく怨みに変えていった前半生。良心の呵責に耐えかねて逃げ出す市九郎。駆け込んだ先の寺で仏門に入り、衆生済度のため、身命を捨てて人を救うことが自身をも救うことになる、と諭され諸国を巡る贖罪の旅に発つ。

その描写は、映画「風に立つライオン」で、主人公が戦争で兵士として参加し傷ついた子供に、「9人の命を奪ったなら、10人の命を救え!」と叫ぶ場面を思い起こす。

思うに人としての罪、「原罪」と言うものを考えるとき、「恩讐」関係にある人と人、神と人、この関係は恩讐だからこそ、その根底にあるのは「恩義」であり「情け」ではないのか。人としての根元にその情的関係がある、と思うのだ。

最後に「和解」する了海と殺めた主人の子、実之介。そこには人と人との関係が根本は「愛」であることがわかる。そのことがわかったとき感動をよび、自然と涙があふれてくる。小説読んで涙したのは何年ぶりだろう。

2016年10月9日日曜日

森鴎外 ~ 高瀬舟・恩讐の彼方に・落城 ~ 学研・中学生の本棚8(1970年)

森鴎外、というとおそらく、小学校前と小学校の低学年での遠足で二回ほど、生家を訪ねたことがある。島根県西部の山間の小さな盆地に開けた城下町、津和野の町、である。
津和野といえば、自分にはいくつかの原風景がある。
一つは小学生の時、太鼓谷稲成神社の朱の鳥居が続く坂道を(雨の中だった)みんなで降りて行った遠足の風景。(駅のホームで雨にぬれ、カッパを着ている写真が残ってたなぁ)
もう一つは、28歳の時に婚約していた妻と訪れた、明治時代初期にキリシタンが捕らわれ、殉教した乙女峠の風景だ。
それから、山陰の小京都、道端の堀の流れに鯉が泳ぐ、観光地のイメージ、風景。

森鴎外はそうした自分の故郷から出た偉人、と言うイメージがまずさきに自分にはあった。その森鴎外の作品を初めて読んだのがこの中学生の本棚だったと思う。読むきっかけは、「二十四の瞳」と同じく、NHK少年ドラマシリーズで「安寿と厨子王」(原作:山椒大夫)が放送されたのが1976年12月20日 ~12月23日の4回放送だ。~と、いうことは自分は11歳、小学校5年生。このドラマの最後の生き別れになった母親と厨子王の邂逅場面(目の見えない母親が取りを追い払いながら「安寿恋しや~」と歌う)は強く印象に残っている。
その後にこの本を手に取ったにちがいない。いつごろだろうか。中学になってからかな。

まだ三編(「恩讐の彼方に」「忠直卿行状記」「落城」)を読み残しているのだが、「山椒大夫」は古風な文体にもかかわらず上記のような経緯があって読み通していたし、「最後の一句」「高瀬舟」も読んだ記憶がある。中世の日本の時代を描きながら、人間の心の動きが生き生きと描かれていることで、入り込んで読めるのだと思う。
ただ、「阿部一族」は読んでいなかった。江戸時代初期の武家社会の主君の死に伴い、殉死していく者たちの顛末が描かれているが、中世武家社会にいきる者たちの価値観が細かく描かれていく。
ただ、「阿部一族」は歴史の史実から取材して、かなり細かく多くの登場人物を並べて書いてあるため、中学生には(大人になっても)少しとっつきにくいのではないか。また、様々な歴史や人生観を持って初めて作者の伝えたい内容、あるいは小説化されたことの価値がわかるのではなかろうか。
もちろん、文豪「森鴎外」のことを知っておくことは大切なことかもしれないし、歴史に興味を持つようになることは良いことだと思うのだが。

まあ、「舞姫」や「ヰタ・セクスアリス」が取り上げられるよりはよほど良かった、と思うけれども。(こちらは私も読んでないから、あくまで憶測ですが)

菊池寛の「恩讐の彼方に」はこれから取りかかります。これも何十年ぶりだろう。

こちらは別記事にて。

2016年10月4日火曜日

「春女苑」ショック ~ 29年目の発見

さだまさしの「春女苑」。1987年2月にシングル発表。TBSテレビドラマ「親子万才」の主題歌。地味な曲だし、主題歌になったことは知っていたがそのドラマを一度もみたことがないことで、印象が薄いのだが、「一つが二つ、二つが四つ、気づけば庭中あなた」という歌詞がなんとなく気に入っていて、時々想い出す曲だった。その翌年自分の人生が大きく転換していったこともあり、1987年~89年は大転換期。その印象ともかぶって、同じく1987年の「男は大きな河になれ」と共に自分の中では古典的な一曲だった。

そして29年たった今年、今日。初めて「春女苑」なる花を認識した自分。
きっかけは池上会館の屋上で発見した花
これである。もちろんこれは春女苑にあらず。名前をまだ調べていないのだ。
この写真を撮ったことでなんとなく「春女苑」が浮かんで来て、Web検索して初めて、春女苑なる花を認識したのでした。ヒメジョオンと良くにた花で、ヒメジョオンなら、小学校の帰り道、道端で、普通に咲いてる花だった。おそらく春女苑もその中にはあったかもしれない。
29年、歌っていながらその花のイメージがようやく今日わかった、なんて、これはこれですごいことではないかい?なんか新鮮!

人生いつまでたっても、どこにいっても、当たり前の中に発見があるもんだ。これからは具体的なイメージを持ってこの唄が歌える。世界が少し広がった、ささやかな体験。

ところで写真の花の名前は?

明日調べてみよう。

~「日々草(にちにちそう)」と判明しました。(10月5日)

追記
「春女苑」は正式には「春紫」(標準和名:ハルジオン)。「ヒメジョオン」と混同して「ハルジョオン」と呼ぶことは「間違い」なんだそうな。(10月8日)

2016年10月3日月曜日

緊急事態!~オークションは気をつけよう 「坊ちゃん ~ 中学生の本棚13(1970年)」が欠落していた件

オークションで購入した学研の「中学生の本棚」全30巻。しかも500円。
気が付いたのは購入してから1か月もたってからでした。

なんと!、13巻「坊ちゃん」の巻が欠落していたという悲劇。

オークションタイトルは「 即決 書籍◆中学生の本棚 全30巻セット◆学習研究社/昭和本 」だったのに。

商品の写真は


よくよくみると、確かに13巻がない。
また、購入直後、届いた写真がこちら



こっちも、数えてみたら29冊。
1冊欠品は、オークションの説明には何一つ説明はありませんでした。
いや、500円で買えたんだし、こちらの落ち度といえば落ち度なので、出品者を責めるつもりはさらさらありません。気が付かないこっちのドジなんだけど、こういうこともあるんだと、戒めですね。
というわけで、29冊そろいの「中学生の本棚」、坊ちゃんの巻はおそらく、「吾輩は猫である」との二本立てだったような気がするのですが、そちらは文庫本でも買いますか。

「坊ちゃん」はおそらく中学生のときには読んでおもしろかった、という記憶があり、「吾輩は猫である」は数ページ読んでたぶん、読み通していない。

そのあたりから、夏目漱石を遠ざけてしまった、自分の読書人生があったのではなかろうか。
12巻まで読み終えたら、チャレンジしてみよう。

2016年10月1日土曜日

鼻・羅生門 ~ 学研・中学生の本棚7(1970年)

中学生の本棚7巻目は、芥川龍之介短編集。
収録小説は、父/蜘蛛の糸/杜子春/魔術/鼻/羅生門/芋粥/奉教人の死/地獄変/河童/或阿呆の一生の11編。「父」から「魔術」あたりまでは中学か、高校のときに読んだ記憶がある。なので、自分の中の芥川イメージはずっとそのあたりで止まっている。特に「蜘蛛の糸」、「杜子春」は教科書にも取り上げられていたので、自分なりには読み込んでいたし、古典の説話や中国古典から取られた物語は短編ということもあり、話もすんなり心に入ってきて読みやすい。

芥川龍之介が35歳で自殺したということはこの本で知っていたのだろうか。このシリーズの巻末に載る写真は見た覚えがある。作者による河童の絵も見た記憶があり、自分の芥川龍之介のイメージはこのあたりでできあがったものだ。


「河童」、「或阿呆の一生」といった、晩年期の作品を今回読んでみてそのイメージが大きく変わった。とくに「地獄変」は、その前に取り上げられている「奉教人の死」と強いコントラストをなしていて、こういう題材、描写を追求していくことができる芥川龍之介はやはり芥川賞に名が残る作家としてふさわしい天才性があると同時に、破滅に至る狂気性もどこかに漂ってくるものを感じる。

「地獄変」は読みながら、1993年の韓国映画、「風の丘を越えて/西便制」を思い出した。まだ韓流ブームの前に作られたこの映画、娘(たしか、義理の娘だったと思う)を盲目にさせてまでパンソリの「恨」の世界を表現・追求する父親の世界は、芸術至上主義的なこの話に通じるものがある。ただ、「地獄変」は地獄絵の完成のために娘の命を犠牲にするという狂気、芸術至上主義とひとことで言うが、これは狂気としか言いようがない世界であり、そういう世界を書くという芥川の狂気性がそこにある。
杜子春で示した親子の情の世界から芸術のために娘を焼き殺すというところに変貌して行く様を一人の作家が描く、それは自殺へと自分を追い込んでいく道であるようすら感じる。


主人公が描こうとする地獄変の屏風絵。その完成のために娘を焼き殺し、描写するという地獄世界。その絵を所望したのが娘を奪っていった大殿であり、絵の完成のためにその大殿の乗る檳榔毛の車とともに娘が焼き殺される場を見てこそその絵が完成するという主人公の狂気の願い。

こういう作品を書き上げられるということ自体、芥川龍之介の狂気の始まりではなかったろうか。

前回も書いたが、「中学生の本棚」として取り上げる作品として本当いいのかなあ? 小説は小説、として客観視して読める姿勢はある程度読書経験・人生経験を積んだ後でないと、思春期に読ませるにはやっぱり考え物じゃないのかなあ、と思ってしまいます。
この本に読書感想文を載せている中学生たちには本当に脱帽します。だけど、はたして大人になっての読書人生がどうなっていったのか、ちょっと他人事ながら心配してしまうのです。


今の中学の先生たちもこうした読書指導をするのかしらん?

いつも思うけど、この年になってわかる世界があり、人生経験を積む少年・青年過程ではふさわしい読書というものがあるのではないか・・。