三浦友和と山口百恵、といえば自分にとっては「伊豆の踊子」(映画-1974)がすぐに出てくる。当時9歳、小学校4年生。映画を見たわけではない。兄が中学に入り、学研(ここでも学研!お世話になりました)の中一コースをとっており、その付録で映画の記事がでていたのを興味津々で読んでいたのが記憶に残っているのだ。中一コースでも話題のアイドルが映画に、ということで載せていたのだろうが、そのころの中一コースって、学習誌というより田舎の中学生にとっては情報誌みたいな扱いだったのではないだろうか。中三トリオとしてスタートしていたアイドルの中で、山口百恵はすこし大人びた印象だった。
その「伊豆の踊子」。おそらく、中学か高校になってから、このシリーズにあるのを見つけ読もうとしたが、途中で挫折して最後まで読んでない。作者の一高時代の体験をほぼそのまま綴ったものであるというこの短編は、「孤児根性」という主人公のバックグラウンドの理解あるいは共感なしには読めないと思う。相次いで肉親を亡くし、また一高の寮生活を始め、周囲との違和感を感じながら生きてきた作者の背景を理解して初めてわかるものなのだ、と思う。
高校を卒業して就職で一人、川崎(独身寮は横浜・市ヶ尾だった)に出てきた自分は、同郷の友人は周りに一人もおらず、また寮生活は二人部屋だったが、その同室の同期生とはうまが合わずにいた。
その後、職場の同僚や、仲良くなった友人はいたけれど、20歳か、21歳の春、ゴールデンウィークを利用して奈良・京都へ2泊3日(だったと思う)の一人旅をしたことがあった。それは、主人公のような、やむに已まれず飛び出した旅とは違い、さだまさしの歌の世界にあこがれて訪れた古都だったが、孤独な心を抱えての旅であったことも一面にはある。
そういった世界を通過して初めて、この「伊豆の踊子」の世界は共感できるものになっていくのではなかろうか。
それにしても7度も映画化され、さまざまな人が評論を書いている名作であり、自然描写、主人公の心の動き、踊子をはじめとした旅芸人のさまも実に繊細に描かれている、このあたりがノーベル賞受賞作家たるゆえんなのかな、と思う。
「花のワルツ」や「雪国」に至っては、その情景描写がより繊細で、芸術的なタッチで伝わってくるが、主人公とまわりの人々との人間関係の素朴さは消え、美と愛情、嫉妬など愛憎模様で描かれていくため、リアリズムとしては文学的な価値はあるかもしれないが、理解・共感するのは人によって分かれるだろう。
今、自分が旅をするとしたら、何のためにするのだろう?
旅をしたくなってきた。
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