2017年2月13日月曜日

黒猫・モルグ街殺人事件 ~ 中学生の本棚10(1970年)

表題以外に黄金虫・盗まれた手紙・アッシャア家の崩壊・メエルストロムの旋渦の全6作収録の短編集。江戸川乱歩はこの作家の名前が由来、とは有名な話。

推理小説の嚆矢となるポーの小説。ドイルに影響を与え、ホームズものがあるのは知っていた。

自分の推理小説(探偵小説?)の原点はホームズから始まり、中学生になってこのでポーを知り、横溝正史と広がり、横溝正史が目指した本格推理ものということで、アガサ・クリスティやディクスン・カー、日本では高木彬光、そして社会派で森村誠一などへつながっていったかなぁ。

1970年代後半、「犬神家の一族」の映画化で横溝正史を知ったのは中学生の時ころ。
当時兄が角川文庫で買い込んできたのが始まりで、数年かけてほぼ横溝正史の本は揃っていた。
角川文庫が大キャンペーンをしていたおかげで、その後「本陣殺人事件」、「獄門島」やら「悪魔が来たりて笛を吹く」など、テレビでも映像化されて、自分としては「古谷一行」の金田一が定着していった。
横溝正史は本格推理ものに日本の文化を持ち込んで、独特の世界を作り出していると思うが、その暗さ、人間の暗黒な面を描き出すのが日本的ではあるが、ポーに描かれる独特の世界と共通するものを感じる。

そういえば、その前だったか、後だったか、角川書店は「人間の証明」「野生の証明」、で映画のヒットを出していたなあ。高倉健と薬師丸ひろこ。こちらも現代もの、社会派の推理小説(?)だが、推理ものということで読み始めて結構面白かった。

それより前、小学生後半くらいでドイルのホームズは結構読んでいたし、金田一少年の活躍する江戸川乱歩もいくつかは読んでいたはず。ホームズものは「シャーロッキアン」がいるほど読み込まれた古典なので、自分でも一通り、小学生向けだったと思うが、一そろいの短編と長編の全集が図書室にあったのでほぼ読んでしまっていた。


こうして記憶とたどってみると、推理小説は結構偏っているが、読んできたもんだと思う。坂口安吾の推理小説論を読んだことがあって、謎解きのヒントはすべて提示してあって、純粋推理で真犯人をみつけだすところが読者と探偵との競争であるというのが優れた推理小説という論で、自分も結構影響を受けていた。安吾の「不連続殺人事件」も読んだことがあるが、なるほどとは思うが、あまり面白かったとは思わなかったなぁ。

とまれ、推理小説というジャンルは今は幅広く、警察ものとか、検事ものとか、弁護士が主人公だったりするものに広がっていく。その根底には犯罪の陰にひそむ人間性の理解が大事だったりして、これはこれで仮想の世界ではあれ、人間理解のヒントにはなるのではなかろうか。

2017年2月11日土曜日

赤毛のアン ~ 中学生の本棚17(1970年) 読了

2014年上半期のNHK連続テレビドラマ小説「花子とアン」。

近年にない高視聴率ですっかり有名になってしまった主人公の村岡花子。実は「赤毛のアン」の翻訳をしていたころから大田区大森に住まいを構えておられたようで、自分もすぐ近くの本門寺裏に住んでもう16年になるもんだから、とても親近感が湧く。テレビ放映中は地元でも話題になっていたし、家のあったところは見学できるようになっていたらしい。(行ってはいないのだが)

また、クリスチャンで、これも自分の住まいの近くにある「大森めぐみ教会」に通っておられたことを知り、讃美歌の翻訳などもしていたようで、これもまた、めぐみ教会をよく知って(教会員ではないし、入ったこともないが、大森4中のすぐそばにあり、日曜日は礼拝の鐘の音が響いていた)いる自分には勝手に縁を感じているところ。

このシリーズで「赤毛のアン」(久万嘉寿恵訳~村岡さんではない)を読んでいた中学生時代にはそんなことを知る由もなく、単純に楽しく読んでいた。きっかけはなんだったろうか。

おそらく、フジテレビで放送されていた「アルプスの少女ハイジ」(1974年~カルピス劇場)を見ていたことが始まりではなかろうか。ただ、リアルタイムでは見ていない。
というのも1974年の放送時間帯(日曜午後7時30分~)は「侍ジャイアンツ」(1973年10月~74年9月)の後「宇宙戦艦ヤマト」(74年10月~75年3月)と重なっていてそっちはバッチリみていた記憶があるので、その後の再放送で午後5時台くらいにやっていたのを見たのではなかろうか。そうすると少なくとも75年後半以後だ。その「ハイジ」にはかなりコミットしてみていた記憶がある。とすれば小学校5年生、11歳くらい。そして「ハイジ」はおそらくそのころ本で読んだのだろう。印象も深くのこっている。ハイジに関してはその後小学校で実写版を映画なども見た記憶が(おそらくテレビ放送のすぐあとの頃)あるので、かなり刷り込まれているように思う。
そして、「赤毛のアン」が世界名作劇場として1979年に放送が始まっている。その後1979年というとすでに中学2年生だが、実は「赤毛のアン」のアニメは一切見ていない。「ハイジ」につながる話題のアニメ~名作劇場として~が始まるということで話題になっているのはどこかで聞いたのだろう。そこで、自宅にあったこの中学生の本棚シリーズの一冊を手に取った、ということになるだろうか。

とにかく、そんな出会いの「アン」なのだが、今回再読して感じたこと。

率直に行ってストーリはすべて知っていて、懐かしい場面が次々と出てくる。読みながら、結構「アン」に関しては読み返していたのだと思う。何回読んだらこんなに懐かしく、次の章で起こる事件とか、アンの様子とか、マリラの慌てぶりや性格が見えてくるようになるのだろう。そのくらいリアルに場面が立ち上がり、主人公にも、マリラにも、マシューにも感情移入ができるのだ。中学生時代の読書というものはこんなにも定着するものなのだろうか。いや、小説全体がとても記憶に残るものであるのは間違いないのだろう。
これが「アン」のファンが多い理由なのだとおもった。

そもそも、中学時代、「赤毛のアン」がおもしろい、なんて友達に言ったら「男子が!」という感じでみられそうだったから友達に話したことはなかったが(兄貴が時々どうしたものか、「りぼん」とか「マーガレット」とか買ってくるもんだから、その影響も少しはあったかも・・・・「つる姫じゃー!」とかは単行本もあったし)、今思えばいい時期に「アン」を読んでいたのだと思う。

ところで、アンとの出会いを書いていて気がついた。

ハイジとアンは時代も違えば国も違うし、作家も全く関連性はないのだが、どちらも早くして両親を亡くした孤児が、引き取られて行った先のハイジはおじいさん、アンはマリラとマシューという大人たちの心を洗い流し、親心?人間らしさ?を取り戻していくストーリーが組み込まれていて、どちらもキリスト教がベースになっていることと考えあわせると(特にハイジはキリスト教が強く出てくる)、マタイによる福音書、イエスの山上の垂訓、5の8「心の清い人たちはさいわいである、彼らは神を見るであろう。」そして、18の3「よく聞きなさい。心をいれかえて幼子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」などの聖句が思い浮かんでくる。
つまり、「救い」というテーマが根底に潜んでいるのだろう、と思うようになった。両親を失った「孤児」という立場がイエス(=救い主)に通じる存在で、その孤児を助けているようだが、実はそれが神の救いの御業であるという物語。

自分がキリスト教にコミットしていくようになったのは、ハイジとアンの出会いが大きかったように思うし、また根底にある救い主の思想は、小説のみならず人生全般を生きるにあたって普遍的なテーマだと、改めて感じることができた。

2017年2月3日金曜日

赤毛のアン ~ 中学生の本棚17(1970年) 読書中

3日前から読み始めた。中学生の本棚、「赤毛のアン」。

ようやく学研・中学生の本棚シリーズも17巻。折り返しを超えた。

と、思っていたら、Amazonで見つけてしまった。
「坊ちゃん」(13巻)を!

早速注文して、後で見たら旭川の本屋さん。「中学生の本棚」を単品でずらっと並べている。
今(2017年2月3日)現在、なぜか「月世界旅行」(11巻)が3,988円、「知覧」(9巻)が3,980円!なんじゃこの価格?
あとはほとんど280円とか245円とか。「ビルマの竪琴」(24巻)に至っては1円。

幸いにも「坊ちゃん」(13巻)は480円という穏当な価格で注文できて、今は在庫切れ。よかった。
今見ると「赤毛のアン」も在庫切れ。久万嘉寿恵さんという方の訳なんだけど、Wikipediaにもこの方の訳でアンの本は載っていないくらいだから、珍しいのかも?

だれかファンの人が早速注文したのかな?

これで、「中学生の本棚」全30巻が揃うわけで、いや、よかった。

29冊が500円、「坊ちゃん」のみ480円とは。いやはや。

ところで、「赤毛のアン」の翻訳について。朝ドラで一躍メジャーになった村岡花子さんの訳は古めかしく、若干の省略もあるらしく、他にもいくつか訳が出ているという。100年前のカナダを舞台にした小説だし、聖書やシェイクスピアの引用なども多いみたいだから、訳す人によってそのあたりの扱いが違うので印象もかなり変わるらしい。自分はこの本の訳で読んできたから(他の訳は読んだことなし・ましてやアニメなども見たことないので)この訳でしっくりくるのだ。

今、3分の1を読み終えたところ。話の展開はすっかりわかるのだが、やはりアンやマリラの会話とその描写を読むと、その心の動きが見えてくるというか、楽しい気分になってくるのは「赤毛のアン」の魅力だろう。

節分の読書で「赤毛のアン」。関係はないのだけど、なんだか春を待つ陽気の中で読むのにはふさわしい感じがする。