2016年10月13日木曜日

恩讐の彼方に ~ 高瀬舟・恩讐の彼方に・落城 ~ 学研・中学生の本棚8(1970年)その2

「恩讐」~恩義と、うらみ。情けと、あだ。
考えてみれば、恩讐関係とは、本来強い結びつき、恩義や情けといった関係がなくては怨みや仇に結びつかない。「関係ない」と割り切ってしまえばそれまでのことだ。

市九郎(後の了海)は主人を殺め、峠の茶屋を開き、客である旅人たちの追い剥ぎを生業とする。本来の主従関係、客と店の主という関係は恩義・情けを持って行く関係。これををことごとく怨みに変えていった前半生。良心の呵責に耐えかねて逃げ出す市九郎。駆け込んだ先の寺で仏門に入り、衆生済度のため、身命を捨てて人を救うことが自身をも救うことになる、と諭され諸国を巡る贖罪の旅に発つ。

その描写は、映画「風に立つライオン」で、主人公が戦争で兵士として参加し傷ついた子供に、「9人の命を奪ったなら、10人の命を救え!」と叫ぶ場面を思い起こす。

思うに人としての罪、「原罪」と言うものを考えるとき、「恩讐」関係にある人と人、神と人、この関係は恩讐だからこそ、その根底にあるのは「恩義」であり「情け」ではないのか。人としての根元にその情的関係がある、と思うのだ。

最後に「和解」する了海と殺めた主人の子、実之介。そこには人と人との関係が根本は「愛」であることがわかる。そのことがわかったとき感動をよび、自然と涙があふれてくる。小説読んで涙したのは何年ぶりだろう。

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